2005年5月、探索隊は例によって大型連休を利用して巡礼の旅に出た。
その成果はまぁ写真室の5月分で諸氏におかれてはご存知のことと思うが、事件はその帰途に起こったのである。
私は相変わらず運転担当なのであるが、最近寄る年波に勝てず、1日中ステアリングを握っているというのは結構な重労働となりつつあることをここに告白しよう。
同乗しているのが可愛い女の子ならまだしも、よく見慣れたくたびれたオッサン2人を運搬しているのである、まあ重労働の範疇に入ることには異論はあるまい。
今回の巡礼行は1泊2日のスケジュールで組まれ、今述べたとおり、2日目の帰途ともなると、私の精神的負荷がかなり軋みをあげていたことも容易に推察がつくかと思う。我らがリーダーはこと草ヒロにかけては貪欲な方で、時間を無駄にすることは決してない。どんなに遠出をしていても、日が落ちるその瞬間まで探索の手をゆるめることはしない。ゲシュタポも真っ青な探索意欲をだす。
2日目だし、運転手も疲労してるようだから早めに切り上げて高速道路乗るか、などとは死んでも思わない。
その日も陽は既に落ちかかっていたが車中にはリーダーの鶴の一声が響いていた。
「転んでいい?」
ここで軽く説明が必要かと思うが、探索隊用語で「転ぶ」とは道路地図をにらんで天啓を得たリーダーが主要道路からはずれて、「え?ここ入ってくの?」という小道に突入することを指す。
まぁ、要するにヤツはヤル気だっちゅーこった。
今回の探索行は山梨県において行われたのだが、リーダーの脳裏には、折角ここまできたんだから、帰りは彼氏の言うところの草ヒロの聖地長野県に立ち寄らんでどうする? という考えが恐らく去来していたのであろう。
そんなわけで山梨のとあるコンビニで小休止した後、我々は人跡未踏の山道をあっちへフラフラこっちへフラフラしながら、長野は諏訪のインター目指して最後の探索行を開始した。
今思えばこれがすべての間違いの始まりだった。
ここで少し話が行ったり来たりする。
2005年10月総評でもちらりと述べられているが、我々の生活圏内の中部地区に空港ができた。いわゆるセントレアであり、中部国際空港そのものより、近くの地方自治体が「南セントレア市」などという、センスのかけらもないトチ狂った新市名をつけようと発表して世間の物笑いの種になり、一躍有名になったことは耳に新しいかと思う。
実は2005年5月の探索行に赴く前に私は、飛行機に用があるわけでもないのにセントレアに出かけていた事実がある。世を偲ぶ仮の姿である勤め先の後輩2人と飯でも食うかという話になり、まぁ田舎モンとしては人後に落ちない私であるので
「ど…どうせ飯喰らうなら、近頃できたせんとれあちゅーとこで喰らうべ」
「んだ。んだ。」
という話の流れであったと記憶している。
後輩の一人が女性ということもあり、私たち男衆二人はミエをはってちょっと高級そうな中華料理屋に入った。さもこんな店は慣れてますよといった顔つきで、おすすめのメニューなぞウェイターに聞くと、フカヒレがお勧めという。目にも止まらないスピードでメニュー表の値段をチェックすると「500g 5500円」とある。内心ぞっとするも後輩のT君が決意を固めた目で「いっときましょう」と語る。つとめて声の震えを隠し注文する。
「んーそうね。じゃフカヒレもらおうかな。」
しばらくの間、運ばれてきた料理を皆でつついていると、何やら奥からコックが両手に大きな籠を持ってこちらに向かってくる。
満面の笑みで奴さんは言った。
「こちらご注文のフカヒレです。本日は1500gでございます。ご覧下さい。」
光の速さで価格を暗算して、私はその場でひっくり返りそうになるのを全身全霊で堪えた。
T君をちらりと見やると阿呆のように口を開いている。
・・・確かにあのフカヒレ大変おいしゅうございました。T君がスープがうめえスープがうめえと連呼していたのが大変印象に残っております。それでも分相応というものがありますから、私は当分ミニストップのフカヒレまんで充分でございます。
ま、それはそれとして、その時のセントレアの駐車券が、実はこの探索行の最中も車中に残ってたのです。
どういう仕組みか、先に清算を済ませて駐車場を出ようとすると、駐車券を出口の機械に通さなくても自動的にバーがあがるカラクリになっていて、生来の不精モノな私はその時はいたく感心したものの、その後、駐車券を処分することを忘れ、運転席の頭上、ほらあの通行券とかちょっとはさんどけるあの場所に、ずっとセントレアの券も刺さりっぱなしだったのです。
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