叢荘8148号室―インチンコラム「草ヒロ探索紀行」其乃七(2)
其ノ七
「探索隊 TAMに行く」
(2)


さて、一部脚色もあったが、そんな経緯を経て我々探索隊のメンバーはTAMことトヨタ博物館に聖地巡業の旅にでることと相成ったのである。

この駅のすぐ近く

この雑文にお目を通しの方々は無論この博物館のことはよくご存知のことと思うが、私は全くといっていいほどその存在を知らなかった。おそらくタチ氏も名前くらいしか知るまい。

ざっと調べてみるとそこは、愛知県は長久手にある自動車の博物館で総敷地面積約14,000坪、自動車文明の業績を体系的に見れるように19世紀末から20世紀の実用者約120台ほど展示されているところということである。1989年オープンだから、つまり平成元年になる。なにやらごく最近のことのように思うが、それは私が20代最後の頃から、社会的に求められなければ年齢を数えるのをやめたからであり、この年におぎゃぁと生まれた赤ん坊が既に18歳になってることを思えば、最近、というのは少しく言い過ぎである。

また、1999年にオープンした新館では、日本のモータリゼーションの歴史を人の暮らしと生活文化と関連して展示されている。こちらは、この年におぎゃぁと生まれた赤ん坊が……まぁやめておくが、こちらは最近できたといってもよさそうだ。

ともかくも、いつもしたり顔で旧車探索なぞしてる我々が、こういった博物館に足を運んで自動車の歴史を振り返るのも、なかなか有意義なことではないですか? 私は一体誰に聞いてますか? それはともかく、かような場所なので自動車の歴史を振り返るならここほど適した場所はないといえる。

自動車の歴史も満喫

ここで唐突に自動車の起源とは何だろう? と私は愚考してみる。
 15世紀レオナルド・ダ・ビンチのアイデアスケッチを起源とする説もある。そこまで遡らなくても例えば1769年フランスのニコラス・キューニョーという、日本人には甚だ発音が難しい軍人さんの発明した蒸気ワゴンも、動力付きのクルマという意味では起源と言えるかもしれない。もちろんはじめてのクルマといえば、1886年にゴットリーブ・ダイムラーが発表した4輪車、そして自動車の父カール・ベンツが1885年に作った3輪車も忘れてはならぬ。
 最も物事の起源てぇやつは、生半可な態度で語れるものではなく、この雑文に書いてある歴史記述が多少間違っていても読者の皆様はそうメクジラを立てずに読み飛ばしてもらいたい、お願いします。

なんだか子供の頃TVでみた「マンガはじめて物語」を思い出してきたのは余談に過ぎる。興に乗ってもっと書いてみることにする。

さて、では本邦に自動車なるものがやってきたのはいつのことなのだろうか?

どうも最初は明治29年、というからには西暦でいうと1896年、モトラッドなる2輪車が最初らしい。

 その後明治31年(1898年)本格的な4輪自動車が来たらしいが、それがどんなクルマだったのか諸説紛々の様子で、中途半端に調べただけの私にはなんともいえない。


 なんだかできの悪い小学生の自由研究みたいになってきたが、どうせよくわからないならいっそ、まだ世界が混沌としていた神代の時代、畏くも伊耶那岐命、伊耶那美命のニ柱の神が天の浮橋に御立ちあそばし天の沼矛によりて下界を掻き回したところ、最初に矛にひっかかったのが四つの輪をもつ台車であった。名付くるに天自動車命(アメノジドウシャノミコト)という、くらいでいっそどうか?
神代の時代に…?  ともかくも神代の頃ではなく、前出したダビンチの活躍した15世紀といえば我が国は室町時代で、お馬さんにまたがってチャンバラをやってた時代であり、ダイムラー、ベンツの1885年は、伊藤博文が初代総理大臣になった年であり、頭をどつくとブンメイカイカの音がする時代であり、こうして比較してみると西洋人の文明の進歩に感服しきりである。


 ビバ脱亜入欧! とふざけて書くと怒られそうなのでタチの悪い冗談と思ってください。恐らく自動車を始めて見たご先祖様達はさぞや驚いたことであろう。最もこの頃の日本人は自動車だけに驚くわけにはいかず、諸事万物の舶来のモノや文化に驚いていたと思うが。それはさておき、ここの博物館では、さすがにアメノジドウシャノミコトは無いとしても、先に述べたような初期の頃の自動車の実物(模型なのか実際に走るのか、申し訳ないが私にはわからないが)をこの目で見ることができ大変に意義深い。

さて、そんなこんなで探索隊は博物館に向った。



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